針ノ木谷古道が、中日新聞信州版「山歩記」で掲載されました。

針ノ木谷古道は、戦国時代の富山藩主であった佐々成政が、せめぎ合っていた隣国に知られぬうちに徳川に援軍を求めるために辿ったとされる「さらさら越え」のルートと考えられています。

紹介する「山歩記」は、その「さらさら越え」ルートのメインである針ノ木谷古道を、8月に中日新聞の林さんが歩いた記録を5回シリーズでまとめたものです。

事務局つだっちが同行しました。


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第1弾は、七倉登山口から船窪小屋へ(9/7掲載)。
天狗の庭からの景色は、真っ白いスクリーンでしたが、無事に小屋に到着。

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第2弾は、七倉岳・船窪小屋(9/8掲載)。
当日はあいにくの曇り空、それでも朝方は雲海に浮かぶ山々の景色を見ることができました。


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第3弾は、船窪小屋から船窪乗越へ(9/9掲載)。
小屋番の塩ちゃんに同行しながら、途中のテント場近くの水場にも立ち寄りました。
日々必要な水の確保の大変さを実感頂きました。


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第4弾は、船窪乗越から針ノ木谷古道を経て平の小屋へ(9/12掲載)。
持ってきた機材を絶対に濡らしてはいけないので、渡渉も慎重に、何度も靴を脱いで素足で渡渉されていました。
ワタクシは、飛び石伝いでほぼ行きましたが、どうしても飛び石では無理なところがあり、1か所だけ素足渡渉。
「冷たっ!」「痛っ!」思わずギャーギャー悲鳴を上げながら渡渉。
逆に、それまで顔色一つ変えることなく素足で渡っている林さん。
記者魂を垣間見たひとときでした。



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第5弾は、平の小屋から黒部湖へ(9/13掲載)。
この日は、他の取材日程が入っているとのことで一人で向かわれ、無事に踏破されました。

取材頂いた林さん、大変お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました!


<針ノ木谷古道>
針ノ木谷は、赤テープやペンキを付けましたが、
その後の草木の生育などで目印が見えにくかったりする場合があります。
渡渉点についても、その日の水流の変化によって、判断が伴います。
また、携帯電話の電波が一切繋がりませんので、ご注意ください。

<平の渡し(平の渡場~平の小屋)>

黒部ダムの完成により黒部湖によって分断された登山道を連絡するために開設された渡し船です。
関西電力が運営しています。(平ノ小屋(山小屋)に運航を委託)無料です。
運航期間:6/20~10/31
平の小屋発=6:00、10:00、12:00、14:00(7/1~9/30)、17:00
平の渡場発=6:20、10:20、12:20、14:20(7/1~9/30)、17:20
平の渡場から乗船される際は、必ず船着き場で待機してください。
平の小屋から見て船着き場に人がいない場合は、運航を中止することがあります。

<登山届を提出しましょう!>
平成28年7月より、船窪小屋への登山道は、県の条例により、登山届の提出が義務付けられました。


事務局 つだっち