2021年8月28日(土)~29日(日)
【「船窪のおとうさん」偲んで船窪小屋へ】
8月25日午後11時頃、かねてより病気療養中であった「船窪のおとうさん」こと松澤宗洋氏がお亡くなりになられました。
船窪小屋を引退されてからも、ちょくちょく栂池高原のご自宅へ顔を出していました。
ある時、栂池からの帰り、船窪のおかあさんから「おとうさんがね、つだっち何か思い悩んでいるんじゃないか、確かめてくれって言われたんだけど」とLINEが。
すぐに「なんでもないですよ」と返したのですが、実は交通事故の後遺症で思い悩んでいたちょうどその時でした。
いつもあまり多くは語らず、ニコニコして「フォッフォッフォッ」とほほ笑む「おとうさん」は見抜いていました。既にご病気だったのですが、凄い人だなあと思ったのでした。
訃報を聞いたものの、コロナ禍でかけつけることもままならず、思い立ったのは「おとうさん」が「おかあさん」と二人三脚で守り育ててきた「船窪小屋」へ行こうと。
それが一番の供養になるのではないかと思ったのです。
船窪新道の急登を登り、やがて天狗の庭へ。
とても良い景色。
今回は、頑張ってスイカと頂いた梨をもって上がりました。
小屋から見える景色の中で、お気に入りのショット
七倉岳山頂から少し先へ行ったところにある「横山礼子」さんの碑へ。
横山さんは、船窪小屋を愛してくれた切り絵作家で、Tシャツなどのデザインにもなっています。
久しぶりに行ったので、どこを通っていけば良いかなと思っていたら、ライチョウが案内してくれました。
「おとうさん」のことを報告。
思い出に浸ったのはここだけ。
あとは敢えて「普段通り」で通しました。
そして、「いってらっしゃーい」と鐘を鳴らしてお見送りした後、
今度は自分が見送られて下山。
「行ってきます」。
上から「フォッフォッフォッフォッ」とほほ笑みながら見てくれているでしょうか。
改めて、松澤宗洋氏の多大なご努力と功績に敬意を表しますとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
拝
船窪小屋公式ホームページ
【「船窪のおとうさん」偲んで船窪小屋へ】
8月25日午後11時頃、かねてより病気療養中であった「船窪のおとうさん」こと松澤宗洋氏がお亡くなりになられました。
船窪小屋を引退されてからも、ちょくちょく栂池高原のご自宅へ顔を出していました。
ある時、栂池からの帰り、船窪のおかあさんから「おとうさんがね、つだっち何か思い悩んでいるんじゃないか、確かめてくれって言われたんだけど」とLINEが。
すぐに「なんでもないですよ」と返したのですが、実は交通事故の後遺症で思い悩んでいたちょうどその時でした。
いつもあまり多くは語らず、ニコニコして「フォッフォッフォッ」とほほ笑む「おとうさん」は見抜いていました。既にご病気だったのですが、凄い人だなあと思ったのでした。
訃報を聞いたものの、コロナ禍でかけつけることもままならず、思い立ったのは「おとうさん」が「おかあさん」と二人三脚で守り育ててきた「船窪小屋」へ行こうと。
それが一番の供養になるのではないかと思ったのです。
船窪新道の急登を登り、やがて天狗の庭へ。
とても良い景色。
今回は、頑張ってスイカと頂いた梨をもって上がりました。
小屋から見える景色の中で、お気に入りのショット
七倉岳山頂から少し先へ行ったところにある「横山礼子」さんの碑へ。
横山さんは、船窪小屋を愛してくれた切り絵作家で、Tシャツなどのデザインにもなっています。
久しぶりに行ったので、どこを通っていけば良いかなと思っていたら、ライチョウが案内してくれました。
「おとうさん」のことを報告。
思い出に浸ったのはここだけ。
あとは敢えて「普段通り」で通しました。
そして、「いってらっしゃーい」と鐘を鳴らしてお見送りした後、
今度は自分が見送られて下山。
「行ってきます」。
上から「フォッフォッフォッフォッ」とほほ笑みながら見てくれているでしょうか。
改めて、松澤宗洋氏の多大なご努力と功績に敬意を表しますとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
拝
船窪小屋公式ホームページ
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